◆論考:原忠彦教授のムスリム社会研究再訪 


文化人類学者原忠彦教授について(外川昌彦, 日本バングラデシュ協会メールマガジン』, March-May, 2020, to be continued)

 2019年10月19日にダッカのインディペンデント大学にて、「ベンガルのムスリム村落社会における親族と家族―50年後に振り返る原忠彦教授の民族誌」と題した国際シンポジウムが開催されました。本稿では、このシンポジウムの報告を兼ねて、日本のバングラデシュ研究の草分け的存在として知られる文化人類学者・原忠彦先生のお仕事について紹介したいと思います。

 文化人類学者・原忠彦教授(1934-1990)は、東パキスタン時代からベンガルの農村社会研究を行ってきた、日本のバングラデシュ研究のパイオニアとして知られています。同時に、インド研究者やパキスタン研究者と協力して日本南アジア学会の創設(1988年)に尽力し、家族・親族研究や民衆文化としてのアニメ批評を行い日本と欧米の文化の比較を行うなど、文化人類学者としても様々な成果を残しています。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)では、言語学でベンガル語を専門とする奈良毅教授(1932-2014)の同僚として、日本のベンガル研究にも多大な貢献を行いました。

 その原忠彦教授が、1962-4年にチッタゴン県ゴヒラ村で行った農村調査では、2年以上にわたる農村社会での住み込み調査に基づき、農村社会の親族関係や社会構造、出稼ぎやジェンダー規範、イスラーム教育などの多岐にわたる村人の日常世活を詳細な民族誌にまとめ、博士論文『東パキスタンのムスリム農村社会における家族と親族』(Paribar and Kinship in a Moslem Rural Village in East Pakistan)として、1967年にオーストラリア国立大学に提出されました。しかし、この民族誌は、書店で入手のできる学術書として出版されることはなく、英文の著作なので日本では参照される機会も限られており、これまで関係者の間でのみ知られる研究となっていました。

 その後も原教授は、ゴヒラ村を訪れて、ムスリム社会や農村開発の問題などについて、日本語でも様々な論文やエッセイを公表しますが、それらをまとめた学術出版の準備のためにバングラデシュでの追跡調査を行っていた最中の1990年に、持病が悪化した原教授は、ダッカで急逝します[Hara 1991: 67]。そのため原教授のお仕事は、これまで日本でも、まとまった形で参照される機会は限られていました。

 今回の国際シンポジウムは、このような原忠彦教授のお仕事を振り返り、その成果を改めて現代のバングラデシュ研究に位置づけることで、その今日的な意味を検証する一連のプロジェクトの一部として開催されました。

南アジア・ムスリム社会の民族誌的研究を振り返る

 ベンガル研究の門を叩いた大学院生の頃に、筆者は、たまたま原忠彦教授の農村社会研究の一端を論考にまとめる機会を与えられ、原教授のお仕事の幅広さと学説史的な意義に触れて、大変に啓発されました[外川 1993]。しかし、この時に、とても一人でその全貌を捉えることはできないと悟り、いつかこのテーマで共同研究ができればと考えるようになりました。その後25年を経て、様々な関係者の励ましと助言を頂き、2017年8月に、AA研の共同研究課題に「南アジアにおけるムスリム社会の民族誌的研究」(2018-2020年度)と題して応募し、原忠彦民族誌を振り返るプロジェクトを始めることになりました。

 1960年代の東パキスタン時代の原先生の農村社会研究に、どのような意味があるのかとよく聞かれますが、本プロジェクトではその大きな狙いとして、次の3点を掲げています。

 第一は、50年前のチッタゴン県の農村社会についての詳細な記録を。今日のバングラデシュ社会と対比することで、地域社会の多様な変化を明らかにする手掛かりを与えられる事です。約5千万人の人口であった当時の東パキスタンは、現在では1億6千万人の人口を擁する独立国バングラデシュとなり、その間にバングラデシュの地域社会も様々な変化を経験しています。

 第二は、広くインドを含めた南アジア社会研究におけるその先駆的な意義を明らかにすることです。南アジアでの文化人類学的な農村社会研究は、1950年代以降、インドのヒンドゥー社会研究を中心に活発に行われますが、ムスリム社会の民族誌的研究という意味ではその成果は限られ、世界的な人類学的研究やイスラーム研究の領域でも、1960年代の原民族誌の学説史的な貢献は少なくないと考えられます。

 第三は、このような民族誌的研究の再検証を通して、今日のバングラデシュや南アジア社会の理解に与える様々な示唆を明らかにすることです。グローバル化やイスラーム主義運動など、南アジア社会を取り巻く環境も大きく変化し、私たちのバングラデシュ社会を理解する視点や方法論にも多様な変化が見られます。特に原民族誌に関しては、日本人によるバングラデシュ研究における国際的な貢献として、その意義を国内外に紹介することは、本プロジェクトでも大きな狙いとなっています。

ダッカで開催された国際シンポジウム

 原忠彦民族誌を振り返る東京大外AA研のプロジェクト(「南アジアにおけるムスリム社会の民族誌的研究」)によるこれまでの主な行事は、以下の通りです。

 2018年1月26日に、ダッカのジャハンギルノゴル大学で開催された国際ベンガル学会の会場で、パネル・セッション「Remembering Village after 50 Years: Reconsidering an Ethnography by the late Professor Tadahiko Hara」と題した報告を行いまいた。ここでは原忠彦教授と縁の深い谷口晋吉教授にディスカッサントをお願いし、日本とインド、現地バングラデシュ研究者の7名を組織した報告を行いました。報告者は、以下の通りです。

 Abhijit Dasgupta (University of Delhi、India)、Ranjan Saha Partha (Jahangirnagar University)、Sugie Ai (JSPS Research Fellow-PD, Tokyo University of Foreign Studies)、Atrayee Saha (Muralidhar Girls' College, India)、Fatema Bashar (Jagannath University)、Mujibul Anam (Jahangirnagar University)、Kazuyo Minamide (St. Andrew's University)、Togawa Masahiko(Tokyo University of Foreign Studies)。

 2018 年 6 月 24 日には、東京外国語大学で開催された日本ベンガルフォーラムのプログラムの一部として、日本語でのシンポジウム「50年後に振り返るベンガルの農村社会-故原忠彦教授の民族誌再訪」を行いました。ここでは、初めにシンポジウムの基調となる挨拶を谷口晋吉教授より頂き、その後、高田峰夫(広島修道大学)、杉江あい(名古屋大学)、藤田幸一(京都大学)、及び筆者の4名の研究者がそれぞれの専門分野の視点から原忠彦教授のバングラデシュ農村研究に関わるお仕事を検証し、その成果を位置づけました。その後、原教授の当時の同僚で文化人類学者の石井溥AA研元所長より総括コメントを頂き、最後に原教授のご子息による挨拶を頂きました。

 2019年10月19日にダッカで開催されたシンポジウムでは、以上の一連の研究会の議論を総括する形で、7名の報告者と7名のコメンテーター、4人の司会者、及び、全体討論での2名のディスカッサントを組織する大規模なものとなりました。報告者は、事前にドラフト・ペーパーを送ってもらった参加者も含めると、以下の通りです。

 Abhijit Dasgupta(University of Delhi)、Ranjan Saha Partha(Jahangirnagar University)、Togawa Masahiko(Tokyo University of Foreign Studies)、Md Mujibul Anam(Jahangirnagar University)、Md Abul Kalam(Helen Keller International, Bangladesh)、Atrayee Saha(Muralidhar Girls' College, India)、Anwarullah Chowdhury(The former Vice-Chancellor of the University of Dhaka)、Sugie Ai(Nagoya University)

 その成果については、改めて出版物として刊行の準備を進めている所ですが、会場では、「忘れられていた原忠彦教授の仕事が、このシンポジウムで再発見できた」というバングラデシュ研究者からの声を多数いただき、ともかくその目的の一つは果たせたのではと安堵しています。

 また、私自身は、『コーラン』の解釈にはとても厳格な現地のイスラーム研究者が、外国人によるムスリム民族誌をどのように評価するのか、大変に気になっていましたが、「1960年代のベンガル農村のムスリムの人々の心性を伝える貴重な記録になるだろう」というコメントを頂くことができ、この点でも大変に安堵しています。

ベンガルのムスリム農民の心性

 2019年10月19日にダッカで開催されたシンポジウム(「ベンガルのムスリム村落社会における親族と家族―50年後に振り返る原忠彦教授の民族誌」)での議論の一端として、この時の筆者の報告を、簡単に紹介してみたいと思います。「バングラデシュ農民の生活世界とイスラーム-故原忠彦教授の民族誌を読み直す」と題された報告では、原忠彦民族誌を改めて読み直す試みのなかに、次のような意味があることを指摘しました。

 1960年代の東パキスタン時代の農村社会に、2年以上に渡り単独で住み込み調査を行った原忠彦教授は、ベンガルのムスリム農民の人生観や生活世界を理解するためには、何よりも「唯一神アッラーの概念を知る必要がある」と述べています。そして、この神概念から派生するゴヒラ村のムスリム農民を理解する主要な観念として、世の中の諸事象の発展の不確定性の容認、個人の自主独立の尊重、及び、人間の欲望や感情の容認があるとします。それは、現実の社会生活では様々な文脈で異った現れ方をしますが、それを集約すると、次の3点にまとめられます。

  1. 神の領域の不可知性
  2. 自主独立の個人の尊重
  3. 欲望や感情の強さの容認

 ムスリムにとっての発想の源泉は、なによりも唯一万能の神アッラーにあります。天地創造から人間の誕生や死後の他界観、未来の予見など、すべての現象は唯一絶対の神アッラーに帰せられます。逆に言うと、神の絶対的な力の前で人間は全く無力となり、人間の五感によっては知りえない神の姿は彫刻や絵画には表すことができず、一切の偶像崇拝が否定されます。

 このような「神の不可知性」は、村人の生活に二つの異なる領域を生み出しています。ひとつは、人間の努力や論理を働かせることが許される可知の領域で、それを越えた部分は、神の意志のみが働く不可知の領域とされます。例えば、人間の誕生や死後の他界観、さらには未来の事象の予見などは、人間の分を越えるものとされ、村人は『コーラン』や「ハディース」に示された神の啓示のみを信じ、忠実に従おうとします。

 人間の生涯もまた、神の意志によって、それぞれの人間に与えられた独自の天命とされます。人間の一生は、固有の一度きりのものとされ、個人が先祖や家に対して責任を負うことはありません。そのため、日本のような祖先をお祀りし、墓参りをするという意識は薄く、仏教やキリスト教のような聖職者も存在しません。このことは、老若を越えた、すべての人間の平等という「自主独立の尊重」の観念を導きます。

 人生は神の定めた天命の結果であり、現世の地位は、そのため、どのように変転し逆転してゆくか予見できないとされます。そのため、事業に失敗しても、それは神が与えた枠を越えたからにすぎないという楽天的な解釈が可能となり、それは今日の活発な海外出稼ぎ移民にも結び付く、頻繁な職業変更や社会関係の流動化の傾向を生み出しています。

 結果的に、会社や村落でいったん上下関係が作られても、天命の不可知性の故に、それはいつでも逆転しえる流動的なものと見なされ、逆に上位者は、その地位の確認のために、常に過剰な自己顕示や権威主義的な態度をとる傾向が見られ、その裏返しとしての、緊張度の高い社会を生み出しています。

 ゴヒラ村の農民は、人間の持つ感情や欲望もまた、神によって与えられたものと考えます。そのため「欲望と感情」は、人間が善や悪と判断を下せるものではなく、むしろ天国の楽しみとして肯定されます。成熟した男女が互いに性的魅力を憶えるのは自然なことであり、そのため不必要な社会的混乱を防ぐために設けられたのが、男女隔離のパルダ制度とされます。その意味では、欲望の積極的肯定と男女隔離のパルダ制度は、このような固有の観念から生ずる、ひとつの楯の両面と考えられます。

 以上のように、神の唯一性から派生する諸観念が相互に連関し、村人の多様な社会関係を規定してゆく経緯が、農村社会での様々な出来事や緻密な親族関係の記録を通して描き出されています。

 文化人類学的には、1960年代の機能構造論的分析として位置づけられるその民族誌的議論の詳細については、日本語でも種々の論考が刊行されているので、やはり実地に手に取って頂くことが一番と思います。また、世界の多様なムスリム社会を紹介する入門書については、現在では優れた研究書が様々に入手可能なので、合わせて参照することをお勧めします。

 ただ、ムスリム農民の生活世界とその心性を描き出す原教授の緻密な民族誌的視点は、その時代や地域の制約を超えて、普遍的なイスラーム世界のもとでの多様なムスリム社会の在り方を理解するための、ひとつの貴重な参照点を与えるものであることは間違いないと思います。

参照文献

外川昌彦, 1993,「人々の生活とイスラーム-人類学者原忠彦教授のフィールド・ワークから」『もっと知りたいバングラデシュ』佐藤宏・谷口晋吉・臼田雅之編、弘文堂 pp.37-50.

Hara, Tadahiko, 1991, Paribar and Kinship in a Moslem Rural Village in East Pakistan, Research Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa, Tokyo University of Foreign Studies, based on the thesis originally submitted to the Australian National University (ANU) as a PhD thesis in 1967.

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